柚太朗は英彦山なう!

山伏の歴史ある英彦山のふもと、彦山清流のほとりの柚子胡椒屋です♪郷土の歴史や柚子胡椒のことをつづっていきます。。

10月31日は、ハロウィン。

グッズや街の飾りもすっかりおなじみになりました。



2017ハロウイン1

夏からキッチンに置いていたかぼちゃが、

いい色になったので

画用紙で、帽子と顔を作って付けてみました。



切り絵のこうもりの作り方が、ちょうど新聞に載っていたので

作りました。








最近、新聞を読んでいたら、

『「日本版」九州にもあった 身近にハロウィーン』という

題名を見つけました。


や五島(長崎県)に

昔から、子供達が、近所の家を回ってお菓子をもらう風習があると

書かれていました。




朝倉市(福岡県)では、

十五夜 (10月7日頃。「芋名月」と呼ばれる)の時、

名月に供えたイモを食べても怒られなかったそうです。



五島(長崎県)では、「いも巡り」と呼ばれる風習が

残っているそうです。

名月に供えたイモや豆を

「いもはまんだかな(芋はまだですか)」と言いながら

もらって回っていたそうです。

(現在、家を回ってお菓子をもらう風習が残っている。)



言葉の内容は違いますが

「トリック・オア・トリート(お菓子くれなきゃイタズラするぞ。)」と

声を掛けるところが、共通するような気がします。







そして、この記事を読んだ時、同じ区のご近所の方に、

数年前に聞いたお話を、思い出しました。


それで、再度お聞きしてみました。




干し柿の出来る11月ごろ、子供達が集まって

夜八時くらいから

「とうや、とうや」 (漢字は不明)と声をかけながら

家の軒先に下がっている「つるし柿(干し柿)」を外して

もらって帰っていたそうです。



そして、この「とうや」の声掛け以外は、無言でなければ

いけなかったそうです。




5、60年前のこと、干し柿やさつまいもは、

当時、貴重な甘いおやつで

きっと今の子供達が、ハロウィンのお菓子をもらうのと

ワクワクした気持ちは同じなんだろうな、と思いました。






2017ハロウイン2


私も今年は、お菓子の詰合せを少し作りました。

お世話になっている方へ上げるつもりです。

















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ここは、福岡県立 英彦山青年の家です。

201762.jpg

撮影 平成29年5月27日


近くに 漂泊の俳人、種田山頭火の木碑があります。


201761.jpg

「すべつてころんで山がひっそり」

昭和4年作と言われています。

11月15日、耶馬溪から英彦山に下る時に

作られたらしいです。


201763.jpg

この場所は、県立田川農林高校(現田川科学技術高等学校)演習林で、

木碑は、生徒により、昭和62年に建てられています。(老朽化で、平成12年改建)





昭和62年、田川農林高校、秋の農林祭の一環で、「山頭火」劇が、

青年教師らによって、上演され、

その時、舞台道具のひとつとして使われたのが

当時の木碑で、林業科の生徒が、

英彦山杉にみずから刻んだそうです!









山頭火は、田川~英彦山に足を運んでいて

その足取りを追うように

田川市郡では、多くの歌碑と遭遇できます。


 過去記事 歌碑

〇香春町→「山頭火遊歩道」 香春町

〇田川市石炭博物館内→「山頭火について」仲江先生のおはなし



英彦山神宮の表参道の山伏坊の松養坊に、宿泊しています。
過去記事↓

英彦山 松養坊

英彦山にて木村緑平へ 昭和10年、10月 書簡
「彦山(英彦山)はやっぱりよいと思いました。松養さんのところに泊めていただきました。」

*木村緑平は、筑豊(田川市郡)の炭鉱業所病院の内科医で、
  山頭火と俳句を通じて心の友となり、生涯、山頭火を助けた。





2017ソウダンバコ

近くに、こんな相談箱がありました。


「なんでも相談箱」

もし悩みながら、英彦山に来た人がいたら

見つけたら、ほっとするかもしれません。




2017オチバ

三週間ほど前、松養坊の松養さんのお宅を

訪ねた帰り、拾いました。

葉っぱが、きれいでした。







落ち葉を拾った日、坂道を転ばないようにして帰りました。


もし、私がころんですべっても、「あ、痛い、やってもうた」と

ひとりごとを言っても、やっぱり山頭火と同じように

英彦山は、山中とても静かでしーんとしているんだろうなと思いました。













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田川郡 香春町(かわらまち)の

町の由来を前回紹介させて、いただきました。


「春らしい名前 香春町」


福岡地図 - コピー - コピー





今回は、香春町役場前にある

「山頭火遊歩道」を歩いて来ました。


三月の日曜日、役場に車を停めて、歩道橋を渡りました。


2017カワラ2

右側にそびえる山が、香春岳です。

良質のセメントを採集されていました。

頂上が削られ、平たくなった山の下に

旧日本セメントの施設が写っています。


2017カワラ1

石灰石を運んでいたコンベアのようなもの。

写っている道、向かって左が「国道201号線」

右が、「国道322号線」、真ん中に流れる川が、「金辺川(きべがわ)」です。




サントウカドウ-1


歩道橋を降りて、川沿いに遊歩道があります。

ユウホドウ14

国道201号線に沿っています。





ユウホドウ7

種田山頭火は、田川の炭鉱医師、木村緑平を

たびたび訪れていて、香春町も行乞し

香春町にちなんだ句を多く残しています。





ユウホドウ3

① 「香春晴れざまへ 鳥が飛ぶ」





ユウホドウ2

② 「みすぼらし影とおもうに 木の葉ふる」





③ 「谺谺(こだまこだま)するほがらか」

   (写真なし 撮り忘れ)





ユウホドウ13

④ 「香春をまともに乞ひ歩く」





ユウホドウ9

⑤ 「香春へ日が出るすずめの子

    みんな東に向く」  (木村緑平)





ユウホドウ12

木村緑平について

炭鉱の病院で働く内科医で、

放浪の旅をする山頭火を経済的、精神的に

援助していたそうです。






2017カワラサル

香春岳には、野生のニホンザルが住んでいるので

近くの橋には、お猿さんのオブジェがありました。






ユウホドウ10

⑥ 「すくい上げられて小魚かがやく」




ユウホドウ8

⑦ 「鳴きかわしては寄りそう家鴨(あひる)」




⑧ 「枯木かこんで津波蕗(つわぶき)の花」
   (写真なし)



ユウホドウ5

⑨ 「ふりかへれば香春があった」





ユウホドウ6

⑩ 「あるけばきんぼうけ
    
   すわればきんぼうけ」




ユウホドウ1

一般の方の句も、ありました。

「生きてよと淡い希望によりすがり
 
 医師の言葉が最後を告げる」


「戦争の最後の手段核兵器
 
 使えば終る 世界が終る」


 二句目は高校生が作った句のようです。



一ヶ月以上前に、写真を撮って来ましたが

ブログを作っていて、今、文字を打ちながら

考えさせられてしまいました。

どうか平和なままでと祈るばかりです。






山頭火の句は、難しいことばではなく

すとんと心に入って、響くようです。



田川にやってきて、歩きながら

香春の風景や自然を詠んだ山頭火。

そのまなざしを、身近に感じた気がしました。



同じ風景が、ずっと続いて欲しいです。












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きょうは、添田町のお話です。




福岡地図 - 添田





添田町の上町下町の場所は、県道34号線から、

いっぽん東に平行する道です。

(添田町役場方向より、商工会や郵便局の前を通り突き当たると

34号線に合流します。)



位置的には、添田公園の北やや西になります。



主な通りは、中村醤油屋さんの通りから左折し、伊原方面へ向かうと

再び34号線につながる道です。


今は周りを取り囲む道が、少し変わっているようですが

その近辺も含まれると思います。






江戸時代、小倉から天領代官所、日田(大分)に

通ずる道路として、また英彦山参詣の休憩所として

商店が立ち並び、栄えていきました。





大正時代には、立派な洋館造りの田川銀行があり、

他に吉井銀行、添田銀行など、三つも銀行がありました。



荒物屋、しょうゆ屋、酒屋、呉服屋、薬局、質店、銭湯

下駄や、飲食店、理髪店、写真館など100店近く並んでいて

商店に荷を入れる馬車がひっきりなしに通っていたようです。




往還を二筋の川が横切り、上が清水川、下が不動川で

川が町を三つに区分し、上町、下町、下の原と呼びました。




ナカシマケ2


「中島家住宅」 国重要文化財



中でも、特に「中島家住宅」は、“綿屋(わたや)”の屋号でお酒やしょうゆ、

ハゼ蝋の製造販売をしていた大きな商家でした。




ナカシマケ1

土蔵造りや間取りなど、その当時の商家の特徴がよく残っている貴重な建物です。



中島家住宅
詳しい情報↑(マップあり)

中島家沿い、南北につながる道が上町、下町、下の原です。



ホウコウジ

上町の「法光寺」



ホンマチバシ

上町と下町の堺となる「本町橋」


この橋の北西のたもとに、長崎グラバー邸を思わせる

ガラス戸をめぐらした添田警察署があったそうです。



橋を渡って左手には、永楽座という大きな劇場があり

芝居や文楽、映画をやっていて、

さらに進んだ下町筋の広場には、サーカスや大相撲が来ていたそうです。





昭和61年発行の郷土史に大正時代の華やかな

添田町の上町下町を回想されたものが載っていました。


記事を参考にしましたが、特に印象的だった部分を

紹介したいと思います。



世の緊急を告げるにあたっては、ラジオもテレビも無い時代、

新聞社が号外を出し、腰の鈴を激しく揺さぶり

「号外、号外」と小さなビラをまき走ってゆく。



夕暮れは、九州電気(原文のまま)が来て

電柱の紐をひっぱり、外燈が町につく。


それから、あんまさんが出てその人が吹く笛が

夕闇のしじまに響く。



冬の道路は固く、バラス(砂利)を敷いた道路は人や馬でなお固められる。

寒さにかじかんで石のように固くなる。


大戸の向こうを人が通り、カラコロカラコロ、

朴歯の下駄は音が高い。



またひとり来て、また去っていく冬の音楽である。

お寺帰りであろうか、木戸の障子貼りのむこう

話し声がして、提灯の灯りがぼーっと障子を照らし消えてゆく。



いきいき描かれていて

まるで、映画をワンシーンを観ているように

感じました。




ソエダカミマチ2017


今は、街並みがすっかり変わり

ずっと詳しく知らず、静かな住宅街とばかり思っていました。



その土地の歴史を知れば、確かにそこにあった人達のぬくもりや

店でのにぎわった行き交う声、荷馬車のがらがらという音が

聞こえてくる気がしました。


郷土史はやっぱりおもしろいです。




 追記

このことを調べるようにして、近くに行く度に、

ここを、徒歩やゆっくり車で何度も通ってみました。


それまで気が付かなかったのに、改めて発見したのは

日本家屋のお宅や数奇屋門と呼ばれるしっかりとした門の

存在感のあるお宅が何件か残っていて、あらためて

当時のことを感じた気がしました。


時間が巻き戻って、見れるなら見てみたいと思う風景があります。

昭和30~40年代の田川市や

江戸時代の英彦山の宿坊、

そして、大正時代の添田町上町付近ものぞいてみたいです。












参考文献 :郷土史そえだ 第12号
       :添田町史 下巻























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きょうは、柚太朗の住む添田町(そえだまち)にある石碑を紹介したいと思います




福岡地図 - 添田

添田町は、福岡県の中央部、東で、

お隣の大分県に接しています。



キムラサンバ1

添田小学校の道を挟んだ東側、添田東区の旧道側

一方通行の道を歩いていきます。


キムラサンバ4

お昼前の光の加減で

字がほとんど写真に写っていませんが

「木村益女碑」と書かれています。


キムラサンバ5

↑ 拡大  うっすら「木村」という字が写っています。


キムラサンバ2

「明治三十二年(?)九月建」

「木村権七妻」


木村権七さんという方の奥さんだったのでしょう。




キムラサンバ3

裏に「孫中」の文字。


 孫=とりあげてもらった人のこと

   親しみを込めて、自分たちのことを「洗い孫(あらいまご)」または、

   「孫」と言っていたらしいです。



お産婆さんとは、職業的なものではなく、

経験のある器用で経験を積んだ人がそう呼ばれていたようです。


産気づくと呼ばれ、お産の時、中心となってお世話をしていました。




他にも、添田町内には、ところどころにお産婆さんの石碑があるらしく、

これは、その中で最も古いものです。


孫の人達(とりあげてもらった人)が

生前の供養として建てたらしいです。




今の時代より、医療の発達していない頃、

助産は、まさにお母さんと赤ちゃんともに命がけの一大事にかかわる大切な役割で 

また、「取り上げ親」として赤ちゃんと儀礼的な親子関係も

出産後に、続いていたようです。




その頃の格好が、着物をたすき掛けと前垂れなのか、

もうかっぽう着が、流通していたのかどうかわかりませんが

ピシッと着て、髪をきりっとまとめて

町内のお産に忙しく呼ばれ、お世話をこなす

女性を思い浮かべてみました。




信頼が厚く、家族同然に慕われていたのだなあと

春のはじめのあたたかな陽射しを受けた大きな石碑を

まぶしく見上げて思ったのでした。





                


(昭和17年 国民医療法制定 助産婦に改称)
(平成14年 助産師に改称)






 参考文献 「添田町史」、「郷土史誌 そえだ」 








































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