柚太朗は英彦山なう!

山と川に囲まれた福岡の自然の中で暮らしている柚子胡椒屋の嫁です♪英彦山や筑豊のこと、ゆずごしょうのことを中心に紹介してています。

きょうは、柚太朗の住む添田町(そえだまち)にある石碑を紹介したいと思います




福岡地図 - 添田

添田町は、福岡県の中央部、東で、

お隣の大分県に接しています。



キムラサンバ1

添田小学校の道を挟んだ東側、添田東区の旧道側

一方通行の道を歩いていきます。


キムラサンバ4

お昼前の光の加減で

字がほとんど写真に写っていませんが

「木村益女碑」と書かれています。


キムラサンバ5

↑ 拡大  うっすら「木村」という字が写っています。


キムラサンバ2

「明治三十二年(?)九月建」

「木村権七妻」


木村権七さんという方の奥さんだったのでしょう。




キムラサンバ3

裏に「孫中」の文字。


 孫=とりあげてもらった人のこと

   親しみを込めて、自分たちのことを「洗い孫(あらいまご)」または、

   「孫」と言っていたらしいです。



お産婆さんとは、職業的なものではなく、

経験のある器用で経験を積んだ人がそう呼ばれていたようです。


産気づくと呼ばれ、お産の時、中心となってお世話をしていました。




他にも、添田町内には、ところどころにお産婆さんの石碑があるらしく、

これは、その中で最も古いものです。


孫の人達(とりあげてもらった人)が

生前の供養として建てたらしいです。




今の時代より、医療の発達していない頃、

助産は、まさにお母さんと赤ちゃんともに命がけの一大事にかかわる大切な役割で 

また、「取り上げ親」として赤ちゃんと儀礼的な親子関係も

出産後に、続いていたようです。




その頃の格好が、着物をたすき掛けと前垂れなのか、

もうかっぽう着が、流通していたのかどうかわかりませんが

ピシッと着て、髪をきりっとまとめて

町内のお産に忙しく呼ばれ、お世話をこなす

女性を思い浮かべてみました。




信頼が厚く、家族同然に慕われていたのだなあと

春のはじめのあたたかな陽射しを受けた大きな石碑を

まぶしく見上げて思ったのでした。





                


(昭和17年 国民医療法制定 助産婦に改称)
(平成14年 助産師に改称)






 参考文献 「添田町史」、「郷土史誌 そえだ」 








































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